猫事記 › 猫の歌と画
2013年05月27日
「猫の詩」募集のおしらせ
昨年からごくごくたまにアップしている「猫の詩と画」シリーズ。
もともとはある方から朝日新聞月曜朝刊の「朝日歌壇・俳壇」に載っていた猫の詩の抜粋を送っていただいたのがきっかけだったのですが、自分でもなかなかおもしろく、詩に絵をつけるっていうのをちょこちょこやろうと思いました。
ほんとは自分で詩が詠めれば完璧なのですが、そうもいかず、こうなったら募集しちゃおうかと思い立ちました。
とはいえ、募集と言っても、なんになるわけでもありません。
賞金が出るわけでも、本になるわけでもなんでもないので、そんなのどうよ.....とも思うのですが、
送っていただいた詩のなかから、「絵をつけたいな」と思うものに絵をつけさせていただいて、このブログ内でアップするっていうだけの猫事記内完結型のお話です。
しかも、まったく個人的に絵にしたいなあと思ったもののみ絵をつけさせていただくという、ずいぶんなわがまま企画です。
それでもいいとお思いの方、どんな形式の詩でもかまいません。
俳句でも短歌でもいわゆる散文詩でも.....、なんてったってあたくしに詩のっつうか文学の素養があるわけでもないので、なんでもかまわないです。
こんな曖昧なゆる〜〜〜い企画、まったくの自己満足です。
集まるかどうかもわからないので、企画倒れになる可能性大です。
それでもまあ、いいかと思います。
しかし、まあ、
『詩は志の之く所なり、心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す』(詩経より)ともいいますし、
心深くにある猫への思いを詠んでみませんか?
テーマは猫、
猫という言葉(もしくは猫を感じさせることば)が入っていること。
決まり事はそれだけです。
以下のアドレスにお送り下さい。
futaro1008@gmail.com
カネコ ツミエ
よろしくおねがいします。
2013年03月11日
恋猫の
恋猫の戻りて家の戸を叩く (東京都)青木千禾子さん
〈朝日新聞 3月11日朝刊 朝日俳壇より〉
日常のちょっとしたことがこんなにも嬉しい................ということを忘れずにいたい。 と 思う。
2013年02月25日
恋猫に
久々の「猫の歌と画」シリーズです。
ボロボロドロドロで家にやって来ては、ご飯を食べて、水を飲んで、毛繕いを(一応)して、また出かけて行くグリを見ていると
心配な反面、うらやましい気持ちになる。
今朝の朝日新聞の朝日俳壇に載っていた俳句を「あらまあ!だれかが私の心を詠んでくれた」と思って、
思わず描いてしまいました。
2012年10月03日
猫の眼に時間を読みとる
中国人は猫の眼に時間を読みとる。
ある日、ひとりの宣教師が南京の郊外を散歩していたが、時計を忘れてきたのに気がついて、小さな男の子に時間を尋ねた。
中国の子供は最初はためらった。
それから思いなおして、「すぐに申しあげます」と答えた。
まもなく子供は一匹のたいへん大きな猫を腕にかかえて姿を現すと、いわゆる白眼を見つめる具合にその猫の眼をじっと見つめながら、
「まだかっきり正午にはなっていません」と、ためらうことなく断言した。
それは本当であった。
ボードレールの散文詩「時計」(『パリの憂鬱』)
.....この詩....つうか、お話.....すごく好き。
2012年09月23日
「一匹の猫」
「一匹の猫」
私の中には
一匹の猫がいる
怠惰で高貴で冷ややかで
自分の思うようにしか動かない
その気品にみちた華奢な手足を伸ばして
悠然とねそべっている
猫はいつも
しみったれて実生活的な私を
じっと見下ろしているのだ
歩くときも
話をするときも
猫は決して低くなろうとしない
そのしなやかな体で
ちょっと上品なしなを作ると
首を高く上げたまま立ち去るのだ
私は
もっと汚く
もっと低く
もっと気楽に生きようとするが
私の中の猫は
汚れることをきらい
へつらうことをきらい
馴れ合うことを拒絶し
いつも
気位高く
美しい毛並をすんなりと光らせて
世にも高貴にねそべっている
《『分身』より 塔和子 》